皆様も経験があるかと思いますが、中学3年の受験で始めて子どもなりに人生、考えませんでしたかぁ?私が中学3年生の時、 "老後、一人でも生きていける様、手に職をつけよう"そう思って「都立工芸高校 金属工芸科」へ入学を決めたんです。(現在も水道橋に有り、今は近代的なビルとなっています。)なんでそう思ったのかは記憶に無いのですが、変わり者だったのでしょうか・・・中学3年生で老後の事まで考えますぅ?
子どもの頃から"作る事"が大好きで、私にとっては有意義な3年間でした。なにせ全体の授業の1/3が普通科目、2/3が専門教科と実習なので、勉強のしたくない人にとっては有り難い学校なのでは・・・?私服と言うのも嬉しかったですねぇ。なのに卒業時にはまたヒラメキ・・・"老後は長い!先に10年くらい違う仕事をしても良いのでは"と考え、20歳までにやりたい事を決めるので2年間アルバイト生活をさせて下さいと母にお願いをしたのでした。
当時は、今の様に"フリーター"では通らず、就職しない高卒は"プー太郎"と呼ばれアルバイトなんて世間から怠け者扱いだったのです。まずは衣装屋さんのアルバイトから始まり、楽しい反面そのまま仕事にするには体的に辛いので長くは出来ない。ならば近い仕事と思い【スタイリスト】になりました。20歳〜23歳の3年間。なんのコネも無かったのですが、ちょっとした知恵と人の縁により、続ける事が出来ました。
しかし、もうやめた!スタイリスト時代終りぃ!!とこの仕事とオサラバし、時はバブル真っ只中。まだ何かやりたい私。。。当時とらばーゆと言う女性向求人雑誌が創刊されたばかりで、早速買い求め、いざ会社面接。次に選んだのは【ディスプレイコーディネーター】30人近い応募の中から3次面接を通過し無事、アクセサリーメーカーに就職。ここでは会社組織の"いろは"を学びました。
がむしゃらの1年目、辛いケド、まだまだの2年目、出る杭打たれる3年目、もう限界の4年目、バブルが弾けてはいましたが退職を決意。
時は2月、有休消化を利用し、翌3月いっぱい給料の出るうちに本職の道に向かっていざ就職活動。"いよいよ"との思いも空しく・・・時期も悪く、特殊なだけに就職なんぞあるわけがない。んがぁしかーし!執念と言うのは恐ろしいもので、絶対に決めると固い決意に何かが吸い寄せられる様にチャンスは舞い込んで来る様です。
タイムリミット3月末、ふらっと覗いた友人のパート先の店の前に"ジュエリーのリフォーム・オーダーの店"があったんです。考えても見なかった世界・・・でも直感で"これだぁー!この世界だぁ!!!私の活かせる場所"そう思いました。更にビックリしたのは、先方も人を探していたと言う事。訳わからぬまま翌日には1人で店に立っていました。今考えてみると我ながら恐ろしいまでの勢いでした。そしてアトリエHIRO設立etcとなって行くのです。